【コメント】
ミルクチョコレートフレーバーにレッドフルーツ、シトラス系のフルーティさを伴ったジューシーな味わい。
エルサルバドルの名門カフェパカスが作る最高品質のコーヒーです。
【INFORMATION】
生産国:エルサルバドル
地域:サンタアナ県イリャマテペック山脈アパネカ地区
標高:1,200m
品種:ブルボン、パカス、パカマラ
生産処理:ウォッシュド
コーヒー生豆は機械選別後にさらに人の目で欠点豆を取り除くプロセスを設けており、ゼロ欠点を常に目標として掲げている、非常にレベルの高い運営を継続している農園です。
Cafe Pacasは様々なNPOと地域社会の発展にむけて、社会プログラムを継続発展させている企業です。特に教育、暴力抑止などの取り組みではイニシアティブをとり、献身的な取り組みを行っています。その根底の考え方として、彼らの従業員、その家族、その家族のコミュニティの質がコーヒー産業をよりよく持続可能なものにする最もファクターであると信じているからです。欠点豆は機械選別と、人の目、手のダブルハンドピックで極限まで限り取り除き、非常にクリーンな味に仕上がっています。カフェパカスの丁寧さが優しいまろやかでクリーンなカップから伝わります。
▼エルサルバドルのコーヒーの歴史
エルサルバドルでコーヒーが導入される前の国土は、主にタバコ、トウモロコシ、アニルを植えるため土地が使用されていました。 1700年代後半に、後にこの国の主要作物となるコーヒーがエルサルバドルに導入されました。
▼Café Pacas/パカス一族の歴史
1800年代に初代ホセ・ローザ・パカスがコーヒーの世界に足を踏み入れることを決心し、アパネカ・イラマテペック山脈で最高の土地を購入し、ブルボンの木を植えました。
1900年代、2代目フェルナンド・アルベルト・パカス・フィゲロアは、生産量を増やすためにさまざまな栽培方法を実験しました。 彼の最も大きな功績は、彼の農場の1つで新しいコーヒーの品種を発見したことでした。 彼に敬意を表してパカス(PACAS)と名付けられました。(詳しい物語は後述)
3代目アルフレド・パカス・トルヒーリョは彼の父の栽培技術を実行し、農場での生産レベルを劇的に増加させました。
1990年代初頭、4代目、現在のカフェパカスCEOのフェルナンド・アルフレド・パカスディアスは、次のステップである自分のコーヒーを自社で精選して輸出することを決意しました。 以前は、農場で生産されたコーヒーは、加工して輸出する工場に販売されていました。 トレーサビリティは一切ありませんでした。 彼の戦略は、自分の農場から最高品質のコーヒーを育て、トレーサビリティを維持し、クリーンで革新的な精選方法を通じて製品を強化することでした。
そして、現在,革新的な取り組みを行う、4代目の息子、娘である第5世代目は、コーヒーの品質、人間関係、持続可能性、そして環境の重要性を認識、新たな時代のコーヒーの生産を行っています。彼らの目標は、既存の農場での唯一無二のカップのコーヒーの生産を増やし、新しいビジョンに沿い、農場の開拓を行うことです。ビジョンを持ち、未来に向かってコーヒーの生産を行っています。
“Bring happiness to the planet through unique coffees that deliver our passion for excellence in each cup.”
▼カフェパカスの新たな取り組み
社会的な観点からコーヒービジネスの持続可能性に貢献する2つの主要なプログラムを行っています。
I.”The power of transform”=変革する力
このプログラムは、エルサルバドルで直面している非常に困難な問題であるコミュニティでの暴力に取り組むものです。Café Pacasは「変革への力」と呼ばれる反暴力プログラムで、アパネカ地域の2つの学校を後援することにしました。それには2つの主な目的があります。a)暴力を防ぎ、コミュニティ間の調和と共存を改善すること。 b)読み、書き、数学の教師トレーニングを通じて学校の質を向上させる。
プログラムは、学校ごとに2人の臨床心理学者を割り当てます。彼らは、コミュニティの生徒、教師、保護者に、非暴力的な方法で紛争を解決するためのさまざまな方法を指導します。また、プログラムを必要とする人々に1対1の心理的援助を提供します。このプログラムでは、教師のトレーニングも提供しています。カフェパカスの取組に賛同するパートナーとともに、このプログラムを10年近く後援しています。累計1000人を超える人々が恩恵を受けています。改善には時間と忍耐が必要ではあるがより良い未来への最初の種が植えられました。
II。“Coffee Certificate program”コーヒー証明書プログラム:
2011年、偶然にも、エルサルバドル国立農業学校(ENA)のプログラムに接する機会があり、生徒たちはコーヒーについて何も学んでいないことにカフェパカスは気づきました。これは彼らにとって非常にゆゆしきことでした。体系化された専門的な方法で若い世代を教育する人がいない場合、持続可能であることができるでしょうか?彼らはこれを行動の機会ととらえ、ENAの学生のために「コーヒー証明書プログラム」を開始することにしました。プログラムの焦点は、スペシャルティコーヒーの製造、加工、取引の方法を学生に教えることです。カフェパカスの従業員が講師となり、生徒のみならず、講師たちに対して教えています。学生たちはフィールドワーク含めて実践的に学ぶ機会があります。苗床に種を蒔き、輸出用のコーヒーを準備するところまで行います。
これまでに数百人の学生を訓練し、コーヒーに関わる様々なサプライチェーンで卒業生たちが活躍しています。
▼CAFÉ PACASのメンバー紹介
カフェパカスの現代表であるフェルナンド・アルフレド・パカスディアス。彼は人生のほとんどの時間をコーヒー、砂糖、その他多くの社会的活動につぎ込んでいます。
フアン・アルフレド・パカス・マルティネス:
現代表の息子、会社のプロダクションディレクターです。
彼と彼のチームは、農場や工場での生産を監督しています。 彼の専門は産業エンジニアであり、コーヒー生産の修士号を取得しています。
マルセラ・パカス・マルティネス:
代表の次女、会社の人事および社会的責任プログラムを担当しています。マルセラのバックグラウンドは教育です。
マリア・パカス・マルティネス:
代表の長女。マーケティングとセールス担当です。大学では経済学を学び、愛するコーヒーをより世の中に広める為活動しています。
他2人の姉妹と代表の妻は会社に直接的に関わっていませんが、この素晴らしい農園を愛し、影でサポートしています。
彼らの息子娘、つまり第6世代は、まだ学生ですが、長期休みには最年長の子供たちがコーヒーの生産に関わる各チームに加わります。 ホセ・アントニオはクオリティコントロールの研修に参加し、パオラはマーケティングの勉強を始めています。
▼「パカス種」誕生の歴史
「1905年、2代目ドン・フェルナンド・アルベルト・パカス・フィゲロアは、サンタアナ地域のコーヒー生産者に人気のあった「国立品種」を彼のコーヒー農園に植えました。好奇心から、他の品種も植えることにしました。(例:マラゴジペ、サン・ラモン・ブルボン等」。ある日、彼は自分の農場の1つである標高約1200メートル4付近にあるフィンカ・サン・ラファエルで、明らかに別の種類と思われるコーヒーの木が成長していることに気づきました。彼はそれらの木から種子を集め、苗床でそれらを育てました。
苗木が育ったころ、彼はフィンカ・サン・ラファエルの特定の区画にそれらの苗木を植えました。その後、この木が植わったコーヒーの生産量は、年間80〜100QQの最高記録を打ち立てました。この時点で、フェルナンドは、この新しい木を「サン・ラモン・ブルボンハイブリッド」とひとまず呼んでいました。
この明らかにブルボン種と異なるコーヒーを詳しく調べる為、フロリダ大学のウィリアムコグウェル博士に調査を依頼。彼は、フィンカ・サン・ラファエルを訪れ、現地での観察以外に、他の科学的な観点から研究を行うためにいくつかの木をフロリダ大学に送りました。
コグウィル博士は、木はおそらく突然変異に由来する新しいコーヒー品種であると結論付けました。それらをサン・ラモン・ブルボンと比較したとき、彼は次の違いに気づきました。
1.収穫量が多く、実が大きい。
2.海抜の任意の高度で成長することができ、日陰を必要としない。
3.剪定はほとんど必要なく、手入れの時間が短縮できる。
4.特に根に対する害虫抵抗性
5.風害に強い。
6.日陰によって成長が遅れるため、背の高い品種が植えられているコーヒー農場や地区に合わない。
7.5,000フィート(標高1500m)を超える領域には推奨されない。収穫は良好だが、果実の成熟が遅くなりすぎる。
新しい品種は発見したフェルナンドの名前から「PACAS」と名付けられました。現在ではエルサルバドル、およびラテンアメリカ、アフリカ、フィリピンなど様々な国で栽培されています。